私が文化人類学の研究室に所属する修士一年生だったとき、研究室の先生の海外フィールドワークに手伝いとして同行することになった。本当は先輩が行く予定だったのだが、都合がつかなくなって私に話が回ってきて、二つ返事で引き受けた。知らないものを見て、色んなことを知れるんだとワクワクした。現地の風景を描こうと思ってスケッチブックを新調した。
渡航が決まってからは、手続きをしたり、先輩から手伝いの手ほどきを受けたり、準備に慌ただしく過ごした。
「言葉については、現地の通訳の方がいるからそんなに心配しなくていいよ」
「安心しました!」
「通訳の方は現地語と英語が話せるから……英語は話せるよね?」
こっそり英会話教室に通った。
並行して先生から研究内容の説明を受けた。対象の地域では金が採れた。一定の年齢になると金でできた腕輪を着け、生涯外さず、亡くなった際に腕輪を村の祭壇に飾る風習があるという。先生は祭壇の腕輪を年代順に並べてその変遷をたどる研究を長年行っている。先生は私の目を見ずに一息で話した。先生の熱意が伝わってきた。
「両親の腕輪の文様から左右に半分ずつ取って自身の腕輪の文様にするんだけど、半分の取り方は本人が選べるんだ。手作業だから、たまにエラーもある。エラーも引き継ぐから、文様に変遷があるんだよね。それが面白い」
渡航の日が来た。村に着いてまず村長に挨拶した。村長と先生は旧知の仲で和やかな雰囲気だった。腕輪の調査は明日からということで、村を散歩した。村の主要道路は舗装されていたが、整備が行き届いていないらしく穴があいていた。村の風景がよく見える場所を見つけてスケッチしていると、十歳くらいの女の子が話しかけてきた。意味は分からなかったが、響きが綺麗だった。この響きをずっと覚えていようと思って、聞こえたままをスケッチブックに綴った。
「もう私の文様は決めてるんだ、腕輪を着ける日が楽しみだと言っています」
いつの間にか後ろに立っていた通訳の青年が教えてくれた。こんな小さな子供にも文化が浸透しているんだと感動した。
祭壇は村の奥の山を掘った洞窟の中にあった。普段は洞窟の前の扉を閉めておき、葬儀の時にだけ開けるのだが、調査のために特別に村長が開けてくれた。洞窟内の照明を反射して腕輪が光っている。
村長が重々しく口を開いた。通訳が訳した。もうじきこの村で採取できる金は枯渇する。祭壇の管理者数名で秘密裏に祭壇から腕輪を溶かし、新しい腕輪に使う決断をした。私たちには、腕輪が祖先の魂に見える。とても選べない。あなた方には溶かす腕輪を選別してほしい。
思わずつぶやいた。
「溶かしてしまうのですか」
誰も答えなかった。先生はしばらく考えて、選別を行うことを承諾した。溶かす腕輪をこの箱に入れるように言い残し、村長は洞窟を出て行った。通訳は残った。
私はどういう基準で選別をするかを先生に聞いた。
「文様の変遷が追えることを重視しようと思う。継承されなかった文様は、変遷の系列から外れる。外れたものを溶かす」
「学術的価値で選別をするのですか」
「そうだ。損失を最小に抑えるためだ」
「それでも、当事者への説明責任があるはずです。倫理綱領には……」
先生は遮って言った。
「この村の人は死後も腕輪が残ると信仰している。それが揺らいだら文化も変わってしまう。説明することで全てうまくいくというのは少し無邪気すぎる考えだと思う」
反論する言葉を探している私に先生が問う。
「なぜ我々が共犯者に選ばれたか、わかるかな」
「どうやっても痛みを伴う選別に、学術的根拠や権威によるお墨付きが欲しいからでしょうか」
「我々が言葉を話せないからだよ」
私たちは腕輪を家系図のように並べた。並べ終わった後の作業は簡単だった。子孫を持たない腕輪を箱に入れていくだけだ。腕輪を入れるたびに箱が重くなっていく。これが最善のはずなんだと先生が震える声でつぶやく。汗で腕輪が滑り落ちる。重い金属音が洞窟に響く。
扉の向こうから足音がした。足音であの子供だとわかった。子供が腕輪を着けることを楽しみにしていることを思う。扉の前に立ちふさがって叫んだ。
「見てはいけない」
日本語だったから当然理解されなかった。子供の二つの丸い瞳が近づいてくる。突然、人の目をどうやって見ればいいのかわからなくなった。右目を見ればいいのか? それとも左目を見ればいいのか? それとも私の右目で相手の左目を、私の左目で相手の右目を見ればいいのか? 四つの目が溶けた。
私は人の目を見て話せなくなった。帰国後、大学院を中退しプログラマとして就職した。プログラミングは楽しかった。必死でやっていると、新入社員の研修を任されるようになった。彼らは早く書きたくてたまらないという目をして、拙いコードを書いた。目も合わない私を彼らは先生と呼んだ。先生。
自分が無邪気に踏みつけてきたものを見て思い知ろうと思って、長期休暇を利用してあの村を再訪した。あの時のスケッチブックを持って行った。あれから絵は描いていないからページが余っていた。昔描いた風景と見比べてみると、インフラの整備が進んでいるように見えた。穴があいていた道路も修復されていた。
洞窟の付近は観光地化されていた。風習を絵付きで解説した板が立っていた。その隣に撮影禁止と村への寄付を募る看板があった。スケッチも禁止らしいので、私はスケッチブックをカバンにしまった。観光客はガイドをつける決まりで、割り当てられた英語ガイドに見覚えがあった。あの時の子供だった。思わず話しかけた。
「覚えてる?」
「誰?」
「十年くらい前に腕輪の研究についてきた……」
「あのぼさっとした日本人」
普段閉じられていたはずの洞窟の扉が開けられて金網越しに腕輪が展示されていた。私たちの選別よりもずっと多く減っているように見えた。おおよそ年代順に並んでいたが、ところどころ歯抜けがあり、文様の断絶があった。どういうことか聞いてみようと思って子供の方を向くと、子供が着けている腕輪が目に入って、聞くのをやめた。代わりにこう言った。
「腕輪着けたんだね。文様はもう決めてるって言ってたよね」
子供はうんざりした顔で答えた。
「通訳は、そう訳したんだね」
あの時の響きが自然と口をついた。
「~って本当はどんな意味なの?」
「どこでそんな言葉知ったの?」
「子供の時のあなたがそう言ってた」
「私、そんなこと言ったんだ……」
子供は自分の腕輪に手を添えた。腕輪を外そうとして諦めたようにも見えた。
「意味は教えない、でも」
向き直った一対の目がまっすぐに私を見ていた。
「覚えていてくれてありがとう」